*視界が消えるとき*



コンビニの駐車場、タピオカミルクティーをのみながら煙草に火をつける。運転席からふと助手席を見た。

読みかけの本・ユベールマンガレリ「しずかに流れるみどりの川」と、黄緑のライター、黒いリュック、携帯、そして踊った後の海の砂が乾いてわずかに散らばっている。

曇り空の中、この光景を、撮りたい、と思ったとき

目の前から携帯電話を抜き取らなければならない事に気づく。

だから、撮れない、と思った。

やがては僕の背中もそこに納めたい気持ちになるのは知れている。

心残りなものも、暗い気持ちも

プラスチックのオモチャも

その全て収めたい、何かに献上したい、と思うとき

客観や俯瞰は役割を果たさない。

世界ということばは、そのとき見あたらない。

踊りにより自らの視点が消滅するとき

そこにあなたを含めた莫大な風景が立ちあらわれる。

それはあまりに広大で、だから、結局消えていく

景色そのものは杭とならないから

しばらくすると、また淋しい。

美をめでる気持ちは

更に収めたい、という気持ちは

結局は

誰かのためにあるのだろうと思う。

僕という粒子の渦も

この降りだした雨粒の精も

誰かの気配も

あの音も

本当は何一つ争わず

常に景色を織っている。僕にとっての「叫んでも届かない本当のこと」だ。

地上にとどまる為の技法を

わたしたちは探す

わたしたちが探しているのは消滅ではなかったか。

わたしは役に立ちます!近代加速する命の商品化に危機を抱く人は少ない

宇宙を織るために、僕は人前に立ち

僕の宇宙を織るために

僕は人前に立ち

きみと宇宙と僕は在る、あの確かな空っぽの重たさの中に

唯、在る

踊り終わり車を走らせる

運ぶたびに、血が流れる

思うたびに、血が流れる

こころの隙間から透明な炎のような

血が流れる

雨がつよくなる

車を停める

運転席のドアをあけて

水溜まりを避けて 外にでた

霧粒を感じた

雨は霧になっていた

「地球を直そうとしている人はいるけれど、地球になろうとする人はいないのだ」

その感情が霧と混じり とけて

そこにことばがうまれた

なにものかが

 ありがとう

と僕に

笑いながら

 淋しくないよ

 わたしはいる

と言った気がした。